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主のことばは彼を錬った


「ヨセフの足は、苦しみのかせをはめられ、その首は、鉄のかせに入れられた。彼のことばがそのとおりになるときまで、主のことばは彼を錬った。」(詩篇105:19)

私たちは物事が順調に運んでいる時、平穏でいられます。神の恵みにもすなおに感謝し、喜んで神をほめたたえることができます。しかし、願っていた道がとざされた時、生きがいとしていたことを失った時、そんな時こそ、真に神の前に信仰が問われるのかも知れません。(中略)

神を信じる私たちもそうです。一見神が働いておられないと思うような、全く光の届かないように見える絶望的と思われる状況にあって、なお、神は信じる者とともにいてくださいます。

その試練の最中にあっても。今日のメッセージには、すべての背後に「神の主権」があることを覚えます。そして、すべてに主のタイミングがあることを覚えます。

主のみことばに日々、養われ、励まされ、錬られつつ、周りの状況がどうなっても動揺する必要はないという確信を持つことができますように。与えられたたくさんの良き賜物を失うことがありませんように。

それを困難な状況にあっても、人々のため、神のため、豊かに用いていけますように。そうして、どこにあっても神のご栄光を現していくことができますように。いついかなる時も「神の主権」に従順に従っていけますように。

ヨセフは、真っ暗闇と思われる監獄の生活にあっても、快活でした。どうか今、私たちもなすべきこと、神の御前に問われていることを、何も思い煩うことなく、忠実になすことができますように。

時を待ち、そうして、神に、さらに、すべてをご支配たもう全能の神に、どこまでも期待していくことができますように。


2020年3月15日 主日礼拝メッセージ「主のことばは彼を錬った」より