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完了した

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16)

 

想像を絶するみ苦しみの中で、自ら十字架の道を選び取り、死んでくださったイエス様。すべての権威をお持ちのお方が、不条理のこの世に私たちとともに生き、その最たる犠牲とさえなってまで、私たちを愛し抜いてくださいました。それが御父のみこころだったからです。父なるみ神にどこまでも従順に従われました。願わくは私たちも、このイエス様にならい、どこまでも父なるみ神に従順であることができますように。ご自分を無にして従われたイエス様にならって。

 

なぜだかわかりませんが、神はこの十字架という方法を通して、最愛の御子の死を通して、人類をお救いになりました。人として神としてこの世にお生まれになり、人の身代わりとなって神に受け入れられる罪なき方の犠牲を通してでしか罪ある私たちには、救いの道はなかったからです。

 

このイエス様の圧倒的なご愛を前に、私たちは何が言えるでしょう。あれができない、これができない、したくない、捨てられない、愛せない、赦せない、そんな私たちの前に、無言のイエス様の十字架は、圧倒的な迫りを持って、今、雄弁にご自身のご愛を、さらには、私たちの生きるべき生き方をお語りくださいます。

願わくは、このイエス様のご愛にほんのわずかでも、お応えできますように。私たちのわずかばかりの限られた愛をもって、隣人を、神様を、イエス様を愛していくことができますように。

 

十字架は実に神の愛が形となった現れです。この後、信じる者のいのちは救われ、生まれ変わらされて、永遠の者とされ、その者の人生も変えさせられ、天の御国にいたらせていただけます。ただ、これに感謝し、今、この恵みを自分のものといただいて、感謝して受け取ることができますように。

 

神の栄光は、人の栄光と違います。願わくは、私たちが、この真の神の栄光の意味を知り、また、これに与っていくことができますように。願わくは、この先、はるか天を見据えていたイエス様と同じく、御父の御心を思い、また、イエス様の御心を思い、復活の希望に胸を馳せ、歩んでいきたいと願います。

 

 

(2020年4月5日 主日礼拝メッセージ「完了した」より)