· 

神の国と神の義


私たちの生き方はどうでしょう。今、このコロナの災禍の中で、日々目の前に起こることに右往左往し、天に目を向けることを忘れがちになっていないでしょうか。今一度、永遠の視点で天を見上げたいと願います。

今、あなたを悩ませているもの、心配させているものは何でしょう。このコロナの災禍の中で、食べるもの、着るもの、あるいは、仕事を失って食べられない失業する不安ですか、ロックダウンの中に感じる孤独やいらだちですか、やはり、いのちを失う危険にあるということでしょう。少しでもいのちを伸ばしたいと思うでしょう。

しかし、私たちは、今一度、イエス様の十字架の贖いによって、罪赦され、それ故、永遠のいのちが与えられていることに目を止めたいと思います。すでに死を克服しているということを。これが、私たちクリスチャンの確信であり、それ故、この世の他の人々と違って、ここで言う異邦人が切に求めるものとは決定的に違って、求めるべきを天に置くが故に、全く違った生き方が与えられるのです。天の御国に生きる者なのです。永遠に。

これがあるから、今日も、明日も、縮こまることなく、与えられたいのちを最後の最後まで、精一杯を生きることができるのではないでしょうか。そして、決して、それは単に、この世で満たされず、ただ、天に希望を置くといった消極的なことではないでしょう。この世にあっても天にあっても喜びをもって毎日を、永遠に生きることができるということです。

 


やがて、イエス様はもう一度、来られます。あるいは、それまでに地上での歩みは終えているかもしれません。いずれにせよ、いつか、主の御前に立つ時がきます。それは大いなる喜びの時であり、また厳粛なるさばきの時でもあります。

その時まで、どうか、御前に恥ずかしくない歩みをしていくことができますように。天の御国に生きること、これに視点を合わせて、いつも天に目を向け続け、地上での歩みにおいても、生きるべき道を見失うことがありませんように。願わくは、御救いに与った者にふさわしく、主に従う歩みを続けて全うし、天の御国に憩う者となれますように。

 

私たちの生きるべき御国での生き方、それは神のみに期待し、希望をもって生きる生き方です。それは、心配ごとに心がふさがれ生きる力を失って毎日を消極的に生きるといったものではありません。また、それは、決して、与えられた地上の歩みを無欲に放棄して、まったく期待せず、来世のみに希望を求め生きる生き方でもありません。天の御国に思いを馳せつつ、現実のこの世を神のみこころに従って生き、積極的に神の御国を実現していく生き方です。

この世で生きる中での必要も神に日々、十分に満たしていただき、その愛に存分に浴していく生き方です。天の御父のご愛とみ力に全面的に信頼して、与えられた一日一日を、今日も明日も、精一杯、喜びと希望をもって生き生きと生きていくことができますように。

 

やがて来る天の御国の先取りとして、前味として、私たちキリストを信じる信仰者は、今、実際の生活において、その豊かな恵みに与っています。どうか、天の御父のみこころにいつも心を向け、期待しつつ、与えられたこの世の歩みを、働きを、ともに全うしていきたいと願います。

 

(主日礼拝メッセージ「神の国と神の義」より)